皆様、本当に温かいコメントならびにメールを頂戴致しまして、本当に本当に有難うございます。
頂戴したメールには、少しずつになりますが、必ず返信致します。
コメントの形式で頂いた方には、気軽にお返事をお返ししていいのか分からず(blog上に公開されてしまうので)、この場をお借りして御礼申し上げます。
これからも末長くお付き合い頂ければ幸いです。
また、再掲になりますが、もしよろしれば、お気軽に私宛までメール下さい。
メールアドレスは、
mr.zeroproject@gmail.comです。
さて、今回から複数回にわたって、読者の皆様から頂いたメールで最も質問が多かった「鬱病」について、私の経験も踏まえて少しお話しさせて頂きたいと思います。
ZEROと私のストーリーは、まだまだ先が長くなりますので、取り敢えず閑話休題ということでお許し下さい。
先ずは、言い古された言葉で大変恐縮ですが、あえて「前書き」ということでお話しさせて頂きます。
「鬱病は心の風邪」と云われるぐらい、誰でも大なり小なり経験する可能性のあるものです。
WHO(世界保健機構)が定める健康の定義に100%該当できる人なんて中々いないでしょうし、ましてや、心の健康を客観的定義で計測することはそもそも無理な相談です。
私が接する機会を得た多くの成功者と呼ばれる方々も、例外なく、いや却ってそういう立場にいらっしゃる方だからこそ、心、感情の浮き沈みの振幅には多大なものがあります。
それを、意志力で抑え込んだり、自らの感情を納得させる(悪く言えば誤魔化す)技術を用いたり、外から見れば飄々と悩みなど無いように見える人でも、一人自宅で孤独に悩んでいらっしゃったりするものです。
しかし、その中でももはや社会的生活の一切が無理になってしまうような深刻な状況に陥る方もいて、そうした方には、「風邪」などという表現では軽く聞こえてしまうようなこともあるのです。
人は「風邪」で死んでしまうこともあります。
鬱病に過大な不安を抱くこともありませんが、ご自身で深刻だと思われた場合には、
是非、独りで闘おうとなさらず、億劫がらずに信頼できる心療内科などを訪れることをお勧めします。数回のクリニックへの訪問で嘘のように治ってしまうこともあるのです。
人の感情や心は、小手先のテクニックでそう簡単に誤魔化しきれるものではないと思います。
是非、勇気を持って、誰かに相談されることを強くお勧めします。
かつて私が、某専門学校の教壇に立っていた頃のことです。
受け持っていた講義に参加されていた18歳の学生さんが、突然亡くなられました。
線路内への飛び込みによる自殺でした。
彼は、学校で私の顔を見掛けると、いつもにこやかに会釈をしてくれるので、私の印象に残っていたのです。
彼が亡くなる前日も、私は彼と短い立ち話をしています。
その時交わした会話の内容については正直覚えていません。
翌日、学校へ講義の為に赴くと、職寝室で彼が亡くなったことを聞かされました。
原因は、未だに分かりません。
私は、酷く動揺しました。
正直にお話しすると、その動揺の原因は、私が彼と特別親しかったからということではありません。
もっと親しく接していた学生さんは他に何人もいましたし、彼とはいつも当たり障り無い、短い会話に留まっていた程度の関係でした。
それなのに、自分でも思ってもみなかった程の動揺が私の中に生じました。
私の動揺の原因は、彼の死が私の日常の中で、あまりにも「あっさり」と起こったことに対してだったのです。
もちろん、彼の死が、彼自身の中で「あっさり」であったかどうかは知る由もありませんし、もっと近しい関係にあった彼の友人達に対しては、何かしらのシグナルを発し続けていたのかもしれません。
しかし、私にとっては、前日の彼との立ち話の中では、何のシグナルも素振りも見出すことは無く、いつものように微笑みながら会釈して別れた記憶しか無いのです。
そして彼は、「あっさりと」私の日常から永遠に姿を消してしまいました。
その喪失感、無力感は、この文章を書いている現在でも、ありありと思い出すことができます。
そしてその経験からおよそ10年後に、今度はとても親しくしていた経営者が、自社の経営難、資金難を理由に、私の世界から永遠に姿を消してしまいました。
彼が経営に苦しんでいることは度々聞かされていました。
私は彼に、自己破産をするなり、事業を整理して、一度ゼロに戻って再起を図ることがいいのじゃないか、などと相談に乗ったりもしていたのです。
それでも彼は、愚痴をこぼしながらも、闘志を失わずに懸命に頑張っていました。
彼の愚痴を聞きながらの半年が過ぎた頃、2週間ぶりに彼と会い、喫茶店に入りました。
その時の彼は、何か憑き物が落ちたような爽やかな表情を浮かべていて、私は、『ああ、少しは流れが上向きになってきたのかな・・・』なんて印象を抱いたのです。
会話の内容は、『未だに辛い状況に変わりは無いが、諦めずにもうしばらく頑張っていくつもりだ・・・』というようなことでした。
そして彼と会ったその翌日、二人の共通の知人から彼の死を知らされました。
いま考えれば・・・、本当に「いま考えれば」なのですが、彼と最後に会った喫茶店の会計の時に、それまでなら、『俺はいまどん底に金が苦しいんだから、オマエが奢ってくれよ』なんて軽口を叩き、私が支払いを済ませるのが、ここしばらくの流れだったのですが、その時は、『いつもオマエにばかり払わせてしまって申し訳ないから、今日は俺が払うよ』と会計を彼が済ませたのです。
その時の私は、『ああ、やっぱり少しは楽になってきたのかも・・・』ぐらいにしか思っていなかったのです。
でも、その翌日に彼は死んでしまった・・・
彼のシグナルだったのかもしれません。
でも、私は気付いてあげられませんでした。
後で聞いた話では、彼は少し前から、自身の死を決め、ある程度計画的にそれを実行したようです。
それでも、遺された私にとっては、「突然の死」だったのです。
後悔と喪失感・・・
自殺は、遺された者にずっと続く苦しみを与えます。
今の時代、「まとも(鬱病なんて自分には関係ないと言い切れる状態)」でいられることの方が不思議な気がします。
強烈な生物としての生存エネルギーを要求される過酷な社会にも関わらず、その本能的な生存エネルギーが創出する負の部分の存在を一切否定してしまう社会(この点については、また詳しくお話しさせて下さい)
これからお話しするのは、私の個人的な経験を踏まえ、ZEROから学んだことを私なりに解釈して、私自身が鬱から脱出した経緯です。
私の個人的な経験が、皆様のお役に立てるかどうか、心許ないところはありますが、私自身、何度か「死」を考えました。
自分自身の無力さ、無価値さに悩み、苦しみ、そしてその悩みや苦しみすら無駄なことに思えてきて、ただ息をしているのが辛く、何冊も成功哲学の本を読んだり、苦労して借金苦の中から這い上がり大経営者になられた方の自伝を読んだりしながらも、冷静に考えれば考えるほど、自分が再生していく可能性はゼロだということを思い知らされ、そして布団の温もりに身を委ねる・・・
あれは、本当の地獄でした。
そもそも、このblogを書き始める動機の一つに、今の社会、そして地獄に囚われていた頃の自分に対する強烈な反発心があります。
「もう二度と、今後の人生で、見えない何か、自分がコントロールできない何か、見えない不安、おぼろげな社会システム、自分自身の不安定で信頼できない感情などで、自分の人生を翻弄されたくない!風に吹かれる枯葉のような人生を歩みたくない!」
「人は、自分が望むような人生を創出できる能力とエネルギーを持っている」私は、この認識をZEROのお陰で持つことができるようになりました。
この認識は、世の成功哲学本が書いてるようなコンビニエンスさで、決してお手軽に手に入るものでは無いと思っていますが、それでも、生意気だと思いますが、言わせて下さい。
「人は、自分が望むような人生を創出できる能力とエネルギーを持っている」だから、決して独りで苦しんだりしないで下さい。
心の病を甘く見ないで下さい。
良く、戦争中の経験とかと照らし合わせて、「そんなものは・・・」なんて言う人がいますが、ナンセンスです。
そして、決して「死」を選ばないで下さい。
私は死後の世界を信じますが、信じようと信じまいと、「死」はいつか必ずやって来ます。
現在、この地上で生きているおよそ60億人の人は、百年後にはほぼ確実に誰も存在していません。
読者の皆様の平均世代が、30代、40代の方が中心だと仮定した場合、その前後の世代、即ち20代、50代の人達は、もっと短い回数の正月を迎えた後には、確実にこの世を去ることになります。
ですから、「今」でなくていいのです。
もう少し、今までとは違った方法を試してみる価値はあると思います。
どうしても苦しくて、堪らなくなった時は、一旦その場から逃げてもいいと思うのです。
今の自分ではどうにもならない理不尽なことも、後から考えれば些少なことに変化してしまうこともあります。
理不尽な事態に真っ向から立ち向かえるだけの強さと能力が、今の自分には無さ過ぎると判断される場合には、一旦その状況を避けるべきです。
多少の無理や背伸びは、自己の成長にとって必要な要素だとは思いますが、「過ぎる」ことを強要されると、その歪みは必ずどこかに現れてきます。
長い前書きで失礼致しました。
次回は、鬱を含め、もっと幅広く無気力感や生命エネルギーの不足について、その類型についてお話ししたいと思います。
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